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2011年3月11日、とても大きな地震がおきました。

津波は何もかもをのみこんで、みんなはお寺の裏山に何とか逃げることができました。

雪の降る不安な夜を越すと、辺り一面はがれきだらけ。

その中に、お寺の鐘が残っていました。

「これをなべにして、おかゆを炊いてみんなで食べよう」

お米を探して、湧き水を掘り出して、かまどをつくって・・・

みんなで知恵を出し、ちからを合わせて、助けが来るまでの3日間を乗り越えたのです。

 

宮城県石巻市 長面で本当にあったお話です。

東日本大震災から10年が経ちます。
被災時に幼かった子どもたちも小学生になり、あの時に何があったのかを知らない子が増えてきました。

食べものも、着るものもなく、雪の降る中、濡れたまま、山の中で野宿しなければならなかったあの夜。
みんなが、お年寄りや赤ちゃんを気づかい、少ない食べものを分け与えたり、ブルーシートを敷いてあげたり。
知恵を出し、力を合わせて危機を乗り切ったのです。

子どもたちに、そのことを知って考えてほしい。よみきかせ出来る絵本がほしい。

と思い、石巻市 長面(ながつら)で起きた本当の話を絵本にまとめました。

 

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なべになった鐘

文・堀込光子
絵・堀込光子 堀込亘
自費出版
定価700円

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〇メディア情報

平成28年
・8月 4日 ミヤギテレビ ミヤギnews every
・8月19日 河北新報 石巻かほく
・9月 1日 読売新聞
・9月 2日 石巻日日新聞
・9月27日 河北新報 宮城版

平成29年
・5月19日 TOKYO FM LOVE&HOPE~ヒューマン・ケア・プロジェクト

                    http://www.tfm.co.jp/lh/

 

〇所蔵いただいている図書館
・宮城県図書館
  仙台市泉区紫山1-1-1
  022-377-8441
・仙台市民図書館(メディアテーク)
  仙台市青葉区春日町2-1
  022-261-1585
・若林区図書館
  仙台市若林区南小泉1丁目1-1
  022-282-1175
・石巻市図書館
  石巻市羽黒町一丁目9番2号
  0225-93-8635
・東松島市図書館
  東松島市矢本字大溜1-1
  0225-82-1120

・上越高田図書館

  新潟県上越市本城町8-30

  025-523-2603

・東北大学教育学部研究科 図書室

 

〇関連本
・「海に沈んだ故郷」
  連合出版 堀込智之、堀込光子 著
  https://goo.gl/hcBo4q
・「被災地への誘い」

  自費出版 堀込智之

作者家族の震災

3.11

両親
 

・石巻市長面の海辺の実家で被災

・海抜1m未満の地域

・町内放送で津波避難が呼び掛けられていたが、ゆれで倒れた家具をもどしたり、風呂桶に水を確保するのに夢中で気づかず

消防団の方が避難を呼びかけに来てくれて、やっと気づく

・避難所のお寺にむかう

・本堂は寒いからと、車の中で様子見していたところ、津波が迫っているのに気づく

・お寺の裏山に駆け上る

・細いけもの道に並んで座り、一晩を明かす

・車の中にいて、気づくのが遅れた人は助からなかった

・ライターを持っていた方が一人だけいて、たき火ができた

・男性は一晩中たき木ひろい、火の番

・情報源が何もなく、寒さ、津波の音、助けを求める声に耐えて過ごす

息子
 

・実家から30km離れた港町の職場で被災

・携帯電話を忘れて出勤していた

・上着と財布などの荷物だけを持って近所の公民館の体育館に避難

・津波が来て、公民館の二階に移動

・廊下に並べたパイプ椅子に座って一晩を明かす

・公民館のラジオが聞けたので、東北沿岸が大被害を被っていることを知る

・冷たい水が茶碗一杯ずつ配られたが、体が冷えているので飲めず、なめる程度

○学んだこと

 ・家の片付けより、避難を先に考える。

・防災無線や放送に注意を向ける

・車の中が安全とは限らない

・津波の危険がある地域では、一刻も早く高台に登る

・家の二階で亡くなった方も多い。避難先として適切か、普段から検討しておく
 

○あると良かったもの

 ・防寒具・非常食・ライター

 ・懐中電灯・ラジオなど

(非常持ち出し袋を用意しておく)

3.12

両親
 

・津波で地域丸ごと水没し、山で孤立状態。どこにも移動できず

・山でのサバイバル開始

・ガレキの中からお寺の鐘をひろい、鍋にする。

・玄米を拾い、湧き水で洗う。

・コンクリートブロックでカマドを作る。

・玄米がゆをつくって炊き出し。

・拾ったハサミで竹を切り、箸も作る

・玄米がゆは一人ひとくちずつ。すぐになくなった。

・「息子は生きてるかなあ、もし死んでたら、助かっても意味ないねえ」

息子
 

・津波で地域丸ごと水没し、公民館で孤立状態。どこにも移動できず

・同僚の家族が歩いて公民館に来られた。途中まで車で、水没地帯は線路を裸足で歩いた

・実家との中間地点にある総合体育館まで一緒に避難させていただく

・同僚の実家は内陸にあって、プロパンガスが無事だった。温かいご飯をいただく

・避難所になっている総合体育館に到着。

・ホワイトボードに「長面地区壊滅 情報なし」と書いてあった

・体育館で一晩を明かす

・布団もないので、近所の商店で段ボールをもらう。

・携帯電話がないので、時間もわからない。腕時計も買う。

・総合体育館にどんどんと避難者があつまってくる

○学んだこと

 ・孤立状態になったら、周囲の協力なしに生きられない。普段から人間関係を大切にするスキルが求められる。

 ・困ったら迷わず助けを求める。困っている人には迷わず声を掛ける

 ・そこにあるもので何とかする知恵がもとめられる。自然の中でキャンプなどの体験が生きる

 ・スマホは便利だが、バッテリーや電波がないと役に立たない。腕時計やラジオなど、別に用意しておく

・商店の品物はあっという間に売り切れる。被災後に買えたらラッキー
 

○あると良かったもの

 ・ナイフなどの刃物 ・腕時計など

3.13

両親

・だんだん水が引いてくる

・ヘリコプターが頭上を飛び始める

・救助を期待して山を降りるが、なかなかヘリコプターは降りてこない

・玄米がゆを食べながら寒さに耐えて待つ

・高齢の方が山の寒さで亡くなられていた

・昼過ぎ、ヘリコプターでの救助がはじまる。

息子
 

・総合体育館に長面地区の男性がどんどん集まってくる。働きに出ていて、孤立している家族のもとへ帰れない人たち

・土木建築の職人さんがトラックを出してくれる。みんなで乗り合い、長面へ向かう

・長面まで6kmの地点で堤防が決壊していて進めない。漁師さんがモーターボートで渡し船をしてくれている

・船で対岸に送ってもらい、徒歩で長面へ

一面の田んぼは全て水没している

・大川小学校を通り抜ける。たくさんの小さな遺体が並べられていた

・両親の死を覚悟しながら歩く

・昼過ぎ、長面に到着

再会「生きてた!生きてた!」
 

・母はヘリコプターで、父と私は徒歩で避難。

・堤防が決壊していたところも、水が引いて歩けるようになっている。

・消防のトラックに乗せてもらう。

・内陸の中学校体育館に避難

・体育館には、付近の住民から布団が山のように寄付されて集まっていた。一人一枚ずつ配られる。敷布団を二枚、掛け布団を一枚選んで、3人で寄り添って寝る。

・炊き出しも始まり、おにぎりを一ついただく

・体育館はものすごく冷える。「山とおんなじだ」

○学んだこと

 ・津波の水はすぐに引かない。移動できるまでの2〜3日をしのぐ食糧や水を用意しておく

 ・ヘリコプターが着陸できたので、避難が早かった。すぐ近くの地域では着陸できず、全員避難までさらに2〜3日かかった

3.14〜

・遠い親戚が私たちを探しに来てくれる。親戚の家に避難させていただくことに。

・山すそにある家は地盤が固く、被害はほぼなかった。

・山の湧き水が家に引いてあるし、お風呂は薪で沸かすので、温かい味噌汁をいただき、お風呂に入ることもできた。

・知り合いの中古車店で軽自動車を購入、移動手段を確保

・食糧や日用品を買いに、スーパーに並ぶ日々1時間並んで、店内にいられる時間は15分。ひとり一種類一品ずつ、5種類まで買えた

・ガソリンスタンドは3〜5時間の行列

○体育館での生活

・床に布団を敷いて、その上で1日過ごす

・プライバシーはゼロ

・自衛隊が炊き出し、簡易風呂を設置してくれるまで数週間かかった

・水が流れないので、トイレが汚物であふれる

・避難者が代表者を立てて、自らまとまった。役割を分担し、お互いを助け合う

・マスコミの心ない取材から子供を守る

・仮設住宅に移るまで4〜5ヶ月かかった

 

○自給の大切さ

・完全孤立の地域でも、畑と湧き水があり、火が起こせれば食事ができる。

冷凍庫にあった出荷用の魚介類を分け合って、毎日アワビやヒラメなどを食べていたといった例も。

・プランターでも、野菜を普段から自分で作る

 

○平時のそなえ

・東松島に「おさとう山」という避難所があります。
周囲は平地で、避難する高台は近くにありません。
佐藤さんというタクシー会社の元社長が、
チリ地震の体験から、
いずれくる津波のために退職後に自費で山を切り開き、
避難所として小屋を建てていたものです。

震災前は周囲からずいぶんと批判されたようですが、
おさとう山のおかげで70人もの人が助かりました。

どれだけ、自分ごととして考えられるか。
想像力を働かせて、
行動をおこせるかが大切と思います。

 
 
  

命を分けたのは、
海からの距離と、高さ。
どれだけ早く安全な場所に避難できたかです。
 
大震災のときも、
三日前に震度5の前震があり、
津波警報が出ていました。
でも大きな津波は来ず、
避難もしていませんでした。
 
それが油断につながった方もいたかもしれません。
 

津波警報がでたら、
迷わず避難してください。
100回避難して100回津波が来なくても、
101回目も避難してください。